ハイリスク年子mama

子宮頸管が短い年子ママ。妊活から出産、育児に関する情報発信ブログ。

一人目初産の妊娠から出産までのストーリー③

f:id:admdelic:20181023133836j:plain

前回の記事で妊娠から妊娠後期、入院に至るまでについて書かせていただきました。


admdelic.hatenablog.jp

admdelic.hatenablog.jp

周産期母子医療センターへ転院

最初の入院はいつも通っていたクリニックでした。ここでずっと入院生活を送るものだと思っていました。
が、入院して1週間後、血液検査の結果が良くないと言われます。24時間のウテメリンの点滴で副作用が出て、どうやら肝臓の数値を悪くしている可能性があると。ここでは、これ以上の治療ができないので、MFICUがある周産期母子医療センターへの転院がすぐに決定しました。
あれよあれよという間に、救急車のサイレンが窓外から聞こえ、ストレッチャーを押した救命救急隊員の方々が部屋に入ってきました。初めてのストレッチャー、初めての救急車、そして私はどうなるの?とパニックになっていました。泣く暇すら与えてくれません(笑)先生も、もう少し説明してくれればいいのに・・・手続きをパパッと進めて、あっという間にクリニックを後にしました。

クリニックの近くにある医療センターはどこもNICUが満床で受け入れができないとの事で、救急車で40分ほどかけて遠くの医療センターに運ばれました。某有名女子医大です。設備も施設も綺麗で、入院部屋となったMFICUも豪華過ぎてびっくりしました。トイレ、シャワー、ソファーにテーブル・・・一人では広過ぎるくらいの立派なお部屋でした。
のちに医療明細書を見たら、1泊ベッド代だけで13万円かかってました。。。

f:id:admdelic:20181030135331j:plain

MFICUでの入院生活

クリニックとほぼ同じ入院スケジュールでした。女子医大とあって、担当医はとても綺麗な女医さんで、お付きの研修医も可愛らしい女性でした。歳は二人とも私と同じくらいだと思います。なので、不安な事もすごく聴きやすかったです。ここでの生活は順調に行けば2週間で退院できると言われていました。
毎日NSTで張りのチェックをし、血液検査を行い、点滴量は2A40と表示されていた記憶があります。。相変わらず、子宮頸管は退院まで1.7cmのままでしたが、入院中陣痛はありませんでした。

<<リトドリン(ウテメリン)の最大投与量はこちら>>


1A 120ml
2A 60ml
3A 40ml
4A 30ml
5A 24ml
6A 20ml

一気に1A120mlも流し込まれたら、血管がえらいことになり動機息切れも激しくなるので、
大体1A60mlくらいから、2A30mlに切り替えます。

無事、退院

約3週間の入院生活を経て、ようやく退院日の前日になりました。前日の昼に、点滴を外す処置をしました。
点滴を外す=張り止めが突然なくなるということであり、陣痛が来てしまう確率が高いそうです。
点滴を外した後は、NSTで張りをモニタリングしてもらいます。ここで、張りが少し出てきました。痛い!という訳ではなく、なんかお腹をぐーっと中から押されてる感覚です。その日は数時間ごとにNSTでチェックをして一晩過ごしました。翌朝、担当医の回診時に退院許可が出て、ようやくシャバの空気を吸えるようになりました。

午前10時までに退院しろと言われてしまい、シャワーを朝一浴びて、ささっと荷物をまとめ、先生方に挨拶し、お会計を済ませてロビーで待っていると、旦那が仕事を午前中休んでくれて、迎えにきてくれました。
帰宅までは約2時間ほどかかるので、途中お昼がてらマクドナルドでドライブスルーしました。病院食がまずかったので、このジャンク感がたまらなかったです(笑)ポテトはご褒美にLサイズにしました。。。

ということで、ようやく正産期を迎え、長かった「切迫早産」という言葉は不要になりました。

前の記事

次の記事